ネトウヨ批判記事の中立・公平・事実の命題-悪の凡庸さと思考停止

この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク
スポンサーリンク
公平

 先日、以下のような趣旨のコメントを頂きました。

 ネトウヨ批判をするなら、中国や韓国も批判しないと「中立じゃないし、公平じゃない!」。
 なぜネトウヨ批判だけなんだ。同時に左翼批判なども併記するべきだ。
 なぜなら記事は、中立で公正でなきゃいけないでしょ!
 客観的に見て、あなた(筆者)は偏っていると思う!

 見た瞬間に頭が痛くなりました。

  1. 公平性や中立性は、いつでも正しい概念なのか?
  2. 私が偏っていると「客観的に思った」という主観
  3. 記事の真実性や解釈より、中立性や公平性という無機質なものが大切か?

 私はネトウヨを「ある種の社会現象」として解釈してます。
 古谷経衡さんによれば、ネトウヨは「反メディア・反左翼・嫌韓、嫌中」と定義されます。私は「思考停止の行き着く先」と解釈します。

 本稿では「中立や公平って何?」を解説し、後に実例から「ネトウヨとは、思考停止の帰結だ」と論じます。

スポンサーリンク

中立や公平、客観とは常に正しいか?

 パワーワードはご存知ですか? 平和、中立、公平、差別などの「反論しにくい語句」です。
 パワーワードが広く観念的に、正しいとされるからです。
「君には中立性と客観性がない!」
 こう言われて、どれほどの人が反論できるでしょう。

 客観とはなんでしょうか。多くの言論人、有識者、学者などは「客観的に見てこう思う」という文脈は、まず使用しません。
 当たり前です。「こうだと思っている”自分”」は主体であり、主観だからです。
 議論やコメントでは、恥ずかしい言葉の1つです。

中立という一見正しそうな概念

 中立とは、いつでも正しい概念なのでしょうか?
 私は消費税を悪税だと”確信”しています。様々に論じ、様々な解釈から得た”確信”です。

 では消費税を批判する記事を書いたときに「中立性に反するから」と、消費税賛成の意見を併記することは「正しい行い」でしょうか。
 安倍政権批判をするときに、民主党政権の酷さも併記する。これは正しいのか?

 中立とは「自分で判断しない逃げ」でもあります。
 完全に中立的な記事とは、なんの主張もしない記事です。事実や真実の探求もしません。
 事実や真実の探求をしない=思考停止です。

公平ではなく「公正」を求めなければならない

 公平とは「公を平にする」と書きます。極端に表現すれば「善悪すら考えず、平らにする」ことです。

 「公平な自由競争」と称して、行き過ぎた市場原理主義が取り入れられました。
 市場原理主義は「強者も弱者も、公平に競争」することです。弱肉強食になるのは必然です。

 言論で公平とは「全部をまとめて、平にした地点」が「公平な言論」となります。
 中立な言論と同義です。
 事実や真実の探求をしない=思考停止です。

 むしろ言論では「公正(公の正しさ、公徳)」が必要です。

ネトウヨを思考停止と批判するわけ

 弁護士大量懲戒請求事件は、余命三年時事日記とネトウヨが起こした事件でした。

 「ネトウヨの一部が起こしたことだ!」という反論もあるでしょう。正確なアクセス数は不明ですが、知名度から見ても数十万PV/月はあったのではないか? と思われます。

 また2015年には7月9日に在日韓国人が不法滞在扱いになるという意味不明なデマ : 脱「愛国カルト」のススメが流行りました。
※上記URLは「これはデマ」と解説している記事です。
 余命三年時事日記が発信したデマです。私の周りのネトウヨブログはすべて、このデマを信じていました。

 ……どこが「一部」なのか。

 常識と思考があれば、このようなデマは信じません。
 事実や真実の探求をしない=思考停止=都合の良いデマなら信じる、との証左でしょう。

相手を封じ込めたら勝ちという「議論の風潮」

 ネトウヨだけに限りませんが、ネット上では「相手を言い負かしたら勝ち」という風潮が蔓延っています。
 冒頭でご紹介したコメントも、その最たるものでしょう。

  1. 思考停止=事実や真実の探求をしない
  2. 議論は、事実や真実の探求行為ではなく、勝ち負けに堕する
  3. 議論に勝つことが目的化

 私はこのような、ネット上の議論の軽薄さが嫌いです。
 大体は「(軽薄な)自論の押しつけ」だからです。

ネトウヨ批判記事を書く人は「中立、公平であるべきか?」への回答

 ここまで論じれば、答えは自明でしょう。もちろん「NO」です。

 「事実や真実の探求=思考」と「一般的なイメージの中立や公平」は、必ずしも両立しません。
 むしろ言論=思考とは「非中立・不公平」な行為です。

 経済を論じるとき、私は貧困層や低所得層を重視します。明らかに富裕層からすれば「非中立・不公平」でしょう?

 では「ネトウヨの非中立・不公平」も許されるのでは? との指摘もあるでしょう。「思考停止=事実や真実の探求をしない」が問題なのです。

 なぜか? 最後にハンナ・アーレントの言葉を引きます。

世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。
そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。
人間であることを拒絶した者なのです。
そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました。”

エルサレムのアイヒマンが、出典だったかと記憶してます。

 パスカルは、こう言います。
「人間とは考える葦である」(原文を要約)

 「人間であることを拒絶した者=『悪』の凡庸さ」とは、思考停止だったのです。

26
コメントを残す

7Comment threads
19Thread replies
0Followers
 
Most reacted comment
Hottest comment thread
7Comment authors
  Subscribe  
新しい順 古い順 最も評価の多い
更新通知を受け取る »
Muse

>客観とはなんでしょうか。多くの言論人、有識者、学者などは「客観的に見てこう思う」という文脈は、まず使用しません。
 当たり前です。「こうだと思っている”自分”」は主体であり、主観だからです。

全くその通りで、本来ならば、「客観的な事実は○○であり、こうした事実の背景についての私の主観的な見解は○○だ。」と使い分けるべき。そんな基本的な言葉の使い方すらできないとは、まさしく中学生以下の国語力!←こういうのが思いっきり主観的な表現(笑)。

>ネトウヨ批判をするなら、中国や韓国も批判しないと「中立じゃないし、公平じゃない!」。
なぜネトウヨ批判だけなんだ。同時に左翼批判なども併記するべきだ。

言論活動は本来、価値中立的な活動ではない(ただし、客観的な事実の歪曲や隠蔽をする言論は許されない)という観点から言えば、必ずしも両論併記の必要性はないといえます。ただ、「ある論点の是非(例えば消費税の是非)について論じる場合に、自説(消費税反対論)を主張するだけでなくひとまず反対説(消費税賛成論)も紹介し、その上で反対説の問題点を指摘することによって、自説の正しさに説得力を持たせる」という論法は有効です。そういう意味での両論併記は有効だといえます。

それでは、上記のコメントにあるように、ネトウヨ批判を主張する際に、中韓批判や左翼批判も併記する必要があるのか?両者は全く異なる論点であるから、両論併記の必要はありません。もし、あえて両論併記するというのであれば、「ネトウヨ擁護論」の紹介ということになることでしょうが、その必要性があるかどうかは、あくまでも言論活動者(記事執筆者)が判断すべきことであって、他者からとやかく言われる筋合いのものではないといえます。(両論併記の有効性とは別次元の問題)

望月

すみません。
ちょっと軽く経緯と、矛盾点を指摘しておきます。

AについてA1、A2を書くのが中立なんじゃないの?って僕はこの人に指摘したんです。
何故か?それはこの人が最初は「自分を左の人間と決めつけるな」と言い逃れをしてたからです。

それで、じゃあ、わかりました。左じゃないなら真ん中しか無いじゃないですか?
だから、じゃ真ん中ならば何故A1、A2で書かないの?文書の書き方が矛盾してるじゃないですか?って言ったんですよ。
そしたら今度は、何で中立じゃないといけないんだ!とか開き直りが始まったんですよ。

だから僕は、いや別に中立じゃないならそれで結構。ただ、貴方が中立ぶってたからって指摘しただけの事なんです。偏りがあるのは別に良いのです。ただ、偏りがあるのならば中立ぶっちゃダメでしょ。それは嘘になるし、卑怯ですよ。

自分の立場(左翼)をひた隠しにし、美辞麗句で読者を煙に巻き自分を正当化するのではなく「私はネトウヨ憎しで左に偏ったブログを運営している単なる左翼思想の人間です」ってハッキリ言えよって事。

そういう事です。あたかも自分が中立的視点を持った常識ある真っ当な人間であるかのように振る舞うなって事。自分の立場を隠すのは卑怯。

それとね。
>客観的な事実の歪曲や隠蔽をする言論は許されない
>同感。そんなの絶対許せません。ですが…

>その必要性があるかどうかは、あくまでも言論活動者(記事執筆者)が判断すべきことであって、他者からとやかく言われる筋合いのものではないといえます
>筆者の判断で客観的な事実を隠蔽してるんですよこの人は?中韓、日本の左派のヘイトは(記事執筆者)が判断して隠蔽して書かないって言ってるんだから。
「隠蔽する言論は許さないん」ですよね?なのに他者からとやかく言われる筋合いのものではないとか、矛盾してるじゃないですか。

貴方の発言は整合性がとれてないですよ。

この矛盾にも気が付かず「あぁ、仰る事がごもっとも…」とか喜んでる愚かな人間も居るようですがね。
いやホント恥ずかしくないんですかね…。

Muse

>筆者の判断で客観的な事実を隠蔽してるんですよこの人は?中韓、日本の左派のヘイトは(記事執筆者)が判断して隠蔽して書かないって言ってるんだから。
「隠蔽する言論は許さないん」ですよね?なのに他者からとやかく言われる筋合いのものではないとか、矛盾してるじゃないですか。
貴方の発言は整合性がとれてないですよ。

望月さん、貴方は相変わらず読解力ゼロですね。ネトウヨの問題点を批判することがテーマの文章になぜ、わざわざ中韓や左派のヘイトを合わせて論じる必要があるのか?そもそも論点が違うと言っているじゃないですか?論点が違う事柄についてあえて触れる必要がないのは当然のことで、それをもって「客観的な事実の隠蔽」と同一視するとは、考え違いも甚だしい。誰かが言っていた”スレチ”ですよ。分かる?

というか、「客観的に見て、あなたは偏っていると思う!」などと、主観と客観の言葉の使い方の区別すらわからず、ブログ主からこの点について指摘されてもいまだに自覚できないおバカさんには無理か(笑)。

阿吽

あー・・、例えばあなたは、左翼を批判する記事に、わざわざネット右翼批判の記事を併記しろなどと言ったことがありますか・・?(まさか、ネット右翼がなにひとつ批判されることのない無謬の存在、だなどとは望月さんも思ってはいないですよね?)

たぶんないと思います。それはその必要性が、ないからです。

その記事は左翼批判の記事なので、ネット右翼批判はテーマではないからです。

大事なのは公平性などではなく、この場合は記事の内容が事実に基づいているかどうかなのです。

事実にもとづいて書かれていない場合、その記事の筆者はツッコミを受ける権利を有するのです。

,

阿吽

私はヤンさんの『ネトウヨ批判記事』にほとんど首肯する立場です。

ですが、この機会ですので、1つだけ、疑問に思っている箇所をあえて、あえてこの記事ですので、上げさせて頂きますと・・・・、

私は、ネトウヨという言い方よりも、ネット右翼という言い方の方が良いのではないかと思います。

ネトウヨとは省略した言い方です。

正式名称(?)はネット右翼です。

ネトウヨという非正式名称、略称ですと、略称の分、彼等に対して半端に向き合っているのではないかと、どこかにそういう心理があらわれはしないだろうかと、もしくはあらわれてはいないだろうかと・・、そういうふうに、私は思うのです。

ですので、私なんかはおそらくほとんどは、『ネット右翼』と正式な(?)名称で呼びます。

その方が、相手に対して、正確に、正式に、とらえることが・・、私は相手に対して、この場合は、ネット右翼という存在に対しての、真摯な姿勢なのではないかと思うからです。

(まあ、ネット右翼の人からすれば、そのネット右翼の名称そのものが、蔑称というふうにきっと捉えるでしょうが・・w)

(また、すでにネット右翼ではなく、ネトウヨの段階である程度、凖公式的な、もしくはほぼ公的な場でも通じるくらいには知名度があがった呼称とヤンさんが判断されていた場合においては、そのかぎりではありません)

(もしくは、ネット右翼よりもネトウヨの方が検索ワードとしては強いかもしれません)

阿吽

まあ、ネット右翼批判記事なので、公平にするのもある意味おかしいですね・・。(タイトルからして肯定意見ではないのはある程度自明でしょうし・・)

ですので、私も記事とスレチになる左翼批判コメント等は、そんなには書きません。

ただもし、もしですけど、ヤンさんが左翼批判の記事をもし書かれるようなことがあれば、左翼批判のコメントは書くかもしれませんね。

(表現の不自由展とか、理屈を度外視して、私の感情的な面で評価をすれば、クソオブクソですし・・)

(昭和天皇の肖像画等を焼くのを芸術だと表するのならば、私はその芸術はクソという評価をさせていただきたく存じます)(評価をする人もいるんでしょうけど、私の評価はクソです。私の感情がクソだと言っていますね)

ただ、そういうのを私が普段、ヤンさんの記事のコメント欄であんまり書かなないのは、それが『スレチ』だからです。

それは、記事の方針ではないからです。

ヤンさんのブログのこの記事のコメント欄で、仮に私が、仮に、太陽系のなりたちについて解説しだしたら、それはスレチですよね。

しかし仮に、ヤンさんが太陽系の成り立ちについて記事を書かれるようなことがあれば、太陽系の成り立ちについてコメント欄で書いてもスレチではないのです。

ですので、ヤンさんの記事に左翼批判がないからと言って、それが公平性に反するわけではないのです。なぜならこの場合は、左翼批判は記事の本旨ではないからです。

だからといって、反論をするなという意味ではありません。

ヤンさんの記事について事実とは違う所がもしあれば、その部分については反論をしてもかまわないのです。

それが、受けてと発信者、双方にとっての言論をする者としての姿勢なのではないかと思います。

問題点としてあげるとすれば、それは公平性ではなく、事実確認、もしくは誤認の有無でしょう。

,
記事にはそれぞれ方針というものがあるでしょう。だって報道ではないんですし・・。

(まあしかし、この言論と報道に対する事実誤認は、その代表の新聞が、公平性を要する報道と、それへの解説である記事を、ごっちゃにしてまとめて一緒くたにして報道と表しているからというのもあるかもしれませんが・・)

まあ、報道は、基本的には公平であるべきです。

ただし、記事だからと言ってなんでも書いていいわけではなく、言論ならば、真摯な姿勢というものが必要でしょうね・・。

公平ではなくとも、真摯さは、確実に言論ならば、なくてはならないでしょう、ね。

阿吽

>あとああれです、ブロガー特有の「過激さで目を引く」というのも、気をつけるポイントかなと。

過激な表現で寄ってくるのは、おそらく信者か熱烈なアンチで、経世済民を一番伝えたい一般層からはより敬遠されるだけでしょうからね・・。

炎上で生み出すのは、信者か熱烈なアンチならば、それはこちら側陣営が一番忌避すべき状況でもある、大衆の再生産、ということにもなりかねませんかね、おそらく・・。

プロフェッサーカオス

ライダイハンと従軍慰安婦問題の悪質性を比べ、どちらが悪いのか?をジャッジする事がテーマであるなら、どちらも見る必要があるが
ネトウヨはそういうテーマではなくても、従軍慰安婦問題をテーマにした問題で

韓国のライダイハン問題を持ち出し「ライダイハンに言及しなければ中立性に欠ける」と言い出す

サツに速度違反で止められた際「あいつもあいつも制限速度以上も出してる、なんで俺だけ捕まえるんだ?」
と言ってるに等しい。
実は「中立性」というパワーワードを出しているが「中立性という名の論点ずらし・責任逃れ」として使っているというのが実態

サツからすると「いや、今はおまえ個人のスピード違反について話しているんだが?」ということになる
ライダイハンに言及するなら、ライダイハンをテーマにしたところでやればいい。

アメリカの戦争犯罪について話している時
アメリカ人「日本の戦争犯罪に言及しなければ中立ではない」と言い出したら
(なんでこいつ今更何かから逃れようとしてるんだろ)と思われるのがオチだろう

ネトウヨの「中立性というパワーワードの使い方」はこの手のタイプが多い。

ウィキペディアには詭弁のタイプが何十種類と掲載されている

この手の「中立性の名を語った詭弁」は「おまえこそどうなんだ論法に分類される
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%81%93%E3%81%9D%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9

詭弁の名前がだせえwwwちゃんと名前つけろって話しww最近のラノベのタイトルを思わせるww

議論教育・哲学的思考・論理的思考の訓練を教育の過程でしっかりやっている国々で、議論をする事は重要な事である。
勝つ事にこだわるからではなく、馬鹿にして悔しがらせて勝つ為でもなくマウントの為でもない。
本質的な事を問題視し、重要なことをえぐり出すための議論だと心得ながら問題の答えを見出すための議論になっている為だ
そしてそれを人々が見て正否を決める。そのため民主主義では議論は重要とされる。議会で行われている議論もそのためにある。まあほとんど見られてないがw

詭弁を使ったら即、見抜かれるような論理性を大事にする国では議論には一定の価値がある

しかし日本の議論教育、哲学的思考、論理的思考のレベルは高くない。高くないどころか
某元弁護士の政治屋の議論を見て「正論」だの「論破」だのと言ってしまうレベルでしかない。詭弁を正論だと思い込むレベルである
だからこそ、立花みたいなのが当選できるし、アベや某元弁護士のような政治屋が人気が出る
議論の価値が低く見積もられていき、議会制民主主義も機能しなくなる、議論にも価値が無くなっていく。忖度政治の国だからw
ネトウヨみたいなやつと議論しても何の意味もない。せいぜいちょっとした娯楽程度wたまに遊ぶ程度だなw
最近はちょっと遊び過ぎかw

プロフェッサーカオス

そうそうww
そういえば思い出したんだが数年前の出来事だが

池上彰は、たまにおかしなことを言って炎上する事もある
しかし、日本と言う国はまだ難しい事を簡単に咀嚼して教えるような段階にある為、難しいことを簡単に説明できる池上彰は日本に必要な人材で、その意味で評価していたら

こんな事を言うやつが現れた
「池上彰は在日・朝鮮を批判しないから中立的ではない」(池上も実は番組以外では朝鮮を批判する事も稀にある)

この言葉にすべてが凝縮されている

ネトウヨが使う「中立」とは俺らが使う「中立」を意味していない
あくまで「朝鮮・パヨク・中国・在日」を批判することそのものこそが「中立」の定義
つまりネトウヨブログ・ネトウヨサイトは中立的観点が一切ないが、「朝鮮・パヨク・中国・在日」を批判している為、ネトウヨからすると中立的なサイトだったりする

その知能は昆虫並みと言って差し支えないだろうなw

望月

いゃぁ。光栄だなあ。わざわざ僕の事を批判する為に記事を書いてくださったんですね。
相当前回僕に言われたことが悔しかったんですかね。
じゃなきゃ「わざわざ」書かないですものねぇ。
取るに足らない馬鹿な思考停止したネトウヨの戯言なんかシカトすればいいじゃないですか。(何回も言いますが僕はネトウヨじゃないんでね!勝手にレッテル貼らないでくださいね!)

ま、最後はまともに反論すら出来てませんでしたからねぇ(苦笑)
確かにあんなみっともない醜態晒したらそりゃ反論記事書かなきゃですね!

では参ります。

>客観とはなんでしょうか。
>主観の反対語です。貴方(主観)、僕(客観)。僕が貴方にする意見だから客観的意見。お分かり?

>多くの言論人、有識者、学者などは「客観的に見てこう思う」という文脈は、まず使用しません。
>自分の意見を述べる時に他者視点で物を語る馬鹿はいないでしょう。

>当たり前です。「こうだと思っている”自分”」は主体であり、主観だからです。
 議論やコメントでは、恥ずかしい言葉の1つです。
>何を当たり前の事をドヤって語っているのか…。恥ずかしくないですかね。無知を晒して。

>中立とは、いつでも正しい概念なのでしょうか?
>正しい概念ですね。繰り返しになりますが、結果はどうであれ、最初のスタートは中立的な地点から話を始めなきゃならないですよ。殺人犯も弁護士が付きます。そして被害者、加害士双方の意見を聞き、中立な地点から裁判がスタートするのです。殺人犯だから!という決めつけで死刑(結果)ありきの裁判なんてないでしょう?

>言論で公平とは「全部をまとめて、平にした地点」が「公平な言論」となります。
 中立な言論と同義です。
 事実や真実の探求をしない=思考停止です。
むしろ言論では「公正(公の正しさ、公徳)」が必要です。
>へー。中国、韓国、日本の左派の日本へのヘイトには一切耳を塞いで(ネトウヨだけを取り上げ他はスルー、これは全部をまとめてない証拠)、触れもしない人間が公平ですか?何を聖人君子気取りで言ってるんでしょうかね。全く説得力ゼロ。
だったら、中国、韓国、左派の日本へのヘイトを記事で取り扱ってみたらどうです?
それを何だのかんだの屁理屈捏ねて全スルーしてるのは貴方でしょうよ。みっともない。

>思考停止=事実や真実の探求をしない
議論は、事実や真実の探求行為ではなく、勝ち負けに堕する
議論に勝つことが目的化
>まんま貴方と貴方のお友達の事でしょう?少なくとも僕の事ではないですし、僕は該当しないですね。
僕は終始「偏ってますよ」という指摘(批判じゃなく)しかしてない。
意味不明なマウントとってお前はサル以下の脳みそとか他人に罵詈雑言言って吠えてたのは誰ですかね?ご自分でコメント確認してみてくださいよ。勝ち負けにこだわってる馬鹿は貴方のお友達でしょう?
僕に言い返せなくて悔しくてこんな記事まで書いちゃったのは貴方でしょう?
僕は悔しくもなんともないですよ(笑顔)
だってそもそも勝ち負けなんて下らない基準で議論を勧めてないですから。僕のコメントよく読んでね。はい論破〜、ざま〜とか一言も言ってないでしょ?
勝ち負けで勝手に悔しがってるのは貴方達の方なのよ。残念でした。

>では「ネトウヨの非中立・不公平」も許されるのでは? との指摘もあるでしょう。「思考停止=事実や真実の探求をしない」が問題なのです。
>ああ、つまり、自分達は真実を探求してるから非中立、不公平な事を書いても許されるけど、ネトウヨは思考停止してて(根拠不明なレッテルその1)、真実を探求してない(根拠不明なレッテルその2)から非中立、不公平な事を書いたらダメ(言論弾圧)だと、そういう事ですね。うん。
一度、脳みそctスキャンしてもらったらいかがですかね?(笑顔)
ネトウヨが思考停止してる証拠は?根拠は何?仮に思考停止してようが何だろうが発言の自由くらいはあるんじゃないの?
それでお互いに議論して、お互いに理解しあい、お互いの改善点を素直に改善すればいいだけの話ではないのでしょうか?それが議論でしょう?
ま、貴方達は議論ではなく、単に議論という名の誹謗中傷をしたいだけの人間のように思えますがね。
あ、そっか。左翼共産主義は独裁主義だからそもそも発言の自由は無いか。中国や北朝鮮みたく発言したら拉致されて殺されちゃうもんね。怖い怖い。

しかし、ゲイの人って随分と怖い思想をお持ちの方なんですね。ちょっと見る目が変わりましたわ(悪い意味で)。

左翼の洗脳とは恐ろしいですね。中立な視点を持つ事すら拒否したら話始まらないって事ぐらいわかりそうなモノですけどね…。

しん

正論

望月

しんさん
初めまして。このコメントを見てる方の中にもまともな方が居たようで一安心です。
たった二文字ですが大変嬉しい言葉です。
有難う御座います!

トナカイ

大衆社会と全体主義についてわかりやすい映像作品をさがしていたんですが、ガッチャマンクラウズというシリーズの二作目である、ガッチャマンクラウズインサイトというアニメがかなり視覚的にわかりやすくえぐるような描写の鋭さも凄いです。
10話以上かけて、場の空気による支配と、世間の空気に排除されることの恐ろしさというひとつのテーマを描いた、かなり社会派なアニメです。
マスコミの無責任な扇動で、宇宙人のゲルサドラ盲信して総理にしてしまう人々の愚かさがリアルすぎます。
ネトウヨ問題と、パヨク問題の両方の説明に役立ちそうです。
あの、有名レトロアニメのガッチャマンの現代版ということで、ネームバリューがあるのも大きいかも。
まどかマギカを高く評価する藤井教授にもぜひオススメしたいアニメです。
まあ、忙しすぎて見る暇なさそうですが。

トナカイ

あ、そうか。
くうさまは、アメリカだったんですね。
その発想、言われてみたらその通りかもですね。

話変わりますが、子供の頃みたミニ四駆アニメの爆走兄弟レッツ&ゴーをこの間見返したら、作中にかなり新自由主義批判ありましたね。
例えば、一作目の後半20話くらいはこんな設定。
自由という言葉を建前に一部の大人たちの策略で、レース前の車検制度を廃止したら、凶器を搭載したミニ四駆がレースに大量参加することに。
模型屋は、ミニ四駆を壊されて泣きながら、修理を待つ子供たちだらけに。
ルールの自由化のせいで、小学生低学年の子供たちが安心して参加できるレースがなくなってしまう異常事態に。
レースで勝つのは、悪のミニ四駆博士大神の息がかかったミニ四駆ばかり。

実は、それがミニ四駆の本場である自由の国アメリカでは当たり前のミニ四駆レース光景で、向こうではバトルレースと呼ばれていて、妨害改造も、相手の車の破壊行為も何でもあり、最後まで生き残ってコースを走っていた車だけが勝者のバトルロワイアル。

なんとも小泉改革予知してたのかなって感じ。
だんだんミニ四駆版のバトルロワイアルみたいな感じになって、ボロボロになりながら必死に正々堂々と、凶器を使わない丸腰のミニ四駆でコースを完走する主人公たちの姿がやるせなくて。

そうか、今自分で気づきましたが、小学生の頃にリアルタイムで、このアニメ見てたからこそ、今、この界隈の情報を集めているのかもしれませんね。

やはり、アニメ文化を支えてるのは、クールジャパンをすすめる政治家たちじゃなくて、現場のスタッフたちの情熱なんですね。

だからこそ、けいせいさいみん新聞の平松さんの活動が実を結んで、アニメーターの待遇がマトモになってほしいてす。

タイトルとURLをコピーしました