平和主義とはなにか?戦後日本に蔓延る右翼と左翼の矛盾と迷走

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 毎年8月半ばになりますと、戦争の悲惨さを伝えなければ! とばかりに、太平洋戦争報道がなされます。
 確かに、戦争は最も悲惨な行為の1つです。

 しかし個人レベルに落とし込んでみましょう。家族や友人を守るために、喧嘩をしたら負けた。みなさんはこの行為を、どのように考えますか?
 果たして「あの喧嘩で大怪我をした。だから喧嘩はダメ! 悲惨だ!」と思うでしょうか?

 戦後日本が歩んできた平和主義とはなにか? 去勢に他ならないのではないか?
 戦後の右翼・左翼が抱える思想的矛盾を指摘しつつ、解説したいと思います。

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現代における平和主義は資本主義と密接に関わる

 平和主義とはなにか? この問いから始めることにしましょう。

 「平和な状態」と「平和主義」は異なります。平和主義とは主義主張であり、平和を最上のものとして希求する思想です。

 ヴォルテールやモンテスキューは、「市場が人々を温和にする」と評しました。これは当時、宗教観や信仰の違いを超えて、市場と利益が異なる宗教間で交流を生むことを評したものです。
 ヴォルテールやモンテスキューは、利己心が社会を発展させるとしたのです。
 つまり資本主義によって、平和主義が達成できると考えられました。

 こうして当時の合理的知識人は、市場を擁護しました。
 この思想は、後にアダム・スミスに受け継がれます。古典派経済学や新古典派経済学(新自由主義)に発展する、思想の源流です。

 私悪が公徳になる、とも表現できます。
 しかし現在の世界を見ればどうでしょう? 堤未果さんが指摘するように「今だけ、金だけ、自分だけ」という、刹那的な世界になっています。

  1. 市場の利益と利己心が、強固な道徳心を超えた、宗教間の交流を生み出した
  2. 一見、利己心が社会に役立つ世界が到来しそうだった
  3. 現代では市場原理主義と利己心が、格差を広げて人々を抑圧している
  4. 利己心に偏重しすぎ、道徳が失われたのではないか

 「今だけ、金だけ、自分だけ」の世論は、刹那的になります。とすれば「昨日はAと主張し、今日はBと主張する世論」は不思議ではありません。
 社会の混乱は内部対立を生み出し、外部にも軋轢を生みます。

 資本主義が行き過ぎた現代、世界は混乱に満ちています。道徳を忘れ去った、より悪い形で。

平和主義の内在的矛盾とは

 より具体的な話に移ります。「平和な状態」は「平和主義」でなくとも、達成や維持はありえます。
 このことは、頭の片隅においてください。

  1. 平和が必ずしも、国民の幸福となりえない
  2. 個人的な善が、社会全体の不善となりえる場合がある、合成の誤謬
  3. 戦争回避のための人の壁が、一方の勢力への加担となる

 上記3つの矛盾を、議論していきましょう。

平和が必ずしも、国民の幸福となりえない

 平和とは「争いが起きていない状態」でしょう。この「争いが起きていない状態」には「他国への隷従」も含まれます。
 日本はまさに、アメリカの属国で隷従している状態です。

 はたして「争いさえなければ、幸福なのか?」と問います。
 より個人レベルで述べましょう。いじめっ子にパシリにされているとします。喧嘩にはなりません。隷従してますから。
 この状態は、パシリをさせられている子からすれば「幸福なのか?」という問いです。

個人的な善が、社会全体の不善となりえる場合がある、合成の誤謬

 個人の善意を集めれば、社会的な善になるでしょうか? これも相当疑わしい。ヨーロッパには「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざもあります。

 合成の誤謬は有名な概念です。
 デフレのときには、個人や企業は節約する。そうすると、需要がさらに減ってデフレが加速する、というものです。

 平和主義とは確かに、個人的には「善」に分類されるでしょう。
 しかしその平和主義が、国家全体にとっては不善であり、公徳を裏切ることがあり得るのです。

戦争回避のための人の壁が、一方の勢力への加担となる

 戦争が起こりそうになると、平和主義の人たちが「人の壁」を作ることがあります。
 なるほど。自分を平和への生贄に捧げる、自己犠牲の精神は称賛に値します。

 しかし……戦争は2つの当事者が存在します。つまり1つの当事者への「人の壁」としての擁護は、もう一方への当事者への敵対となります。
 端的にいえば、一方の加担する行為になるのです。

 この場合の「一方に加担する行為」とは、広義で「戦争への加担」に他なりません。

積極的平和主義を誤用する日本政府と安倍総理

 積極的平和主義についても、少々言及しましょう。
 積極的平和とは、ガルトゥングが唱えた概念です。

 端的にいえば「構造的暴力を排除してこそ、平和は訪れる」というもの。
 構造的暴力とはなにか?

 「行為主体が特定できない、間接的・潜在的な暴力」だそうです。具体的には貧困や飢餓、抑圧や差別などが、構造的暴力とされます。格差の極大化も、数えられるでしょう。

 安倍政権は、積極的平和主義を唱えています。主に国外に対して、ですが。
 しかし国内の構造的暴力。つまり格差拡大などの「抑圧と貧困化・格差拡大」を取り除かないで、国外に目を向ける余裕はあるのでしょうか?

 じつは積極的平和主義と、新自由主義やグローバリズムは相性がよろしくない。なぜなら、新自由主義は格差を拡大させ、9割を貧困化させ、貨幣によって抑圧するからです。

 どうも安倍政権のいう「積極的平和主義」とは、表面上のお題目ないし誤用である可能性が高いでしょう。

平和状態のために平和主義を捨て去るべき理由

 私は人権を否定する気は、全くありません。個人的には、人権は非常に尊重したい概念です。
 私はゲイですが、迫害されるなんてまっぴらごめんです(笑)

 平和も好きです。安穏として暮らしたい。喧嘩も嫌いだし、戦争なんて怖いに決まっています。

 かといって、平和”主義”を盲信する気はありません。
 相手が殴りかかってきたり、私の大切な人が害されようとしているときに、実力行使をためらう理由はありません。
※もっとも、私は小心者なので――ガタガタと震えながらも、最大限に抵抗することが精一杯でしょうが(汗)

 気概がない国家は、ナメられます。いじめっ子が、いじめられっ子をいじめるようなもんです。
 社会の中では、先生や親や大人がいじめられっ子を守ったったらよろしい。いじめっ子を叱ったったらよろしい。

 しかし、国際社会ではそうもいきません。なぜなら――世界政府上位存在なんてものは、ないのですから。

バランス・オブ・パワーと国際政治

 国際政治学には、バランス・オブ・パワーという概念があります。日本語では、勢力均衡です。
 平和を達成するためには、勢力均衡こそが大事というわけ。

 平和状態を達成するためには、平和主義を捨て去って、バランス・オブ・パワーという血なまぐさい論理になるのです。
 なぜなら、国家とは自己の利益を追求するものです。すなわち国益です。
 相手国家の利益追求を牽制するためには、自国も牽制するだけの「力が必要になる」わけです。

 結果として「バランス・オブ・パワー」が働く、というわけ。

マキャベリいわく「隣国を援助する国家は滅びる」

 日本はどうか? じつはこれほど積極的に、自国の国力を相対的に下げてきた国家はないのではないか? と思います。
 中国へのODAなんてものは、その最たるものです。

 結果どうなったか? 軍事費で3倍強の差が付きました。見事に、抜き去られたのです。
 もはや日本で、2010年以前――中国が日本のGDPを追い抜いた年――のような、対中強硬論は影を潜めました。

 かの君主論を書いたマキャベリは、言いました。「隣国を援助する国家は滅びる」と。
 日本は自ら「平和主義的観点」から、バランス・オブ・パワーを崩壊させてきたのです。

 しかも! 日本では緊縮財政! ODAは大判振る舞い! という愚行によって!
 中国が急成長しだしたのは、2002年あたりからです。
 わずか20年弱で「自国を凋落せしめ、仮想敵国を強大な敵にしてしまう、日本の手腕愚行」には、驚嘆せざるを得ないでしょう!

 隣人を憐れむのは善です。隣国を憐れむのは、愚かな行いです。
 自国の平和状態を維持したいなら、平和主義的な人道は、それに反した結果をもたらしたのです。

戦後右翼と左翼の矛盾に内在する問題

 我が国の戦後の右翼、左翼は……端的にいえば現実逃避をしてます。

 戦後に一度でも、保守や右翼が平和主義を否定したか? 佐藤健志さんの平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路によれば、していないそうです。
 戦後左翼が一度でも、国際政治の困難さに言及したのか? これも、していないと思います。

 た・だ・し、山本太郎さんもそうですが、私は現在の左派に好意的です。現代貨幣理論(MMT)も、左派から肯定されつつあります。
 消費税増税凍結を立憲民主党や国民民主党、共産党が共通して掲げたのは評価しています。

 あと個人的には、ネトウヨのコメントがうざい(笑) 話は通じない。論理的ではない。合理的ですらない。
 左派のほうが、話も通じますし。

 閑話休題さて、本題

 戦後の日本の思想の問題点は、現実逃避にあるように思えます。

 例えば日本は、高度成長期を経験しました。スイスメディアは、ハリネズミ国家の自分たちを棚に上げて安保法成立、スイス・メディア大きく報道「軍事力に依存しない平和主義のユートピア崩壊」 – SWI swissinfo.chという報道をしてます。
 スイスは、戦争を仕掛けられたら国民皆兵国家です。冗談が上手いにも、程があります。いや……スイスなりの皮肉かもしれません。

 高度成長期は「富国貸兵」でした。つまりアメリカの軍事力が、日本を守っていたのです。れっきとした「軍事力」が――アメリカのものとはいえど――日本に存在したのです。

 この歴史的教訓からも「富国弱兵」は「ありえない」と理解できます。豊かな国家になるには、強い軍事力が必要なのです。
 なぜなら、軍事力なき富国は「他国からの収奪に合う」のは明らかだからです。

 この問題に、日本の右翼も左翼も目を背け続けたと言えるでしょう。なぜ目を背け続けたか? 敗戦のショックによる、平和主義からです。
 だからこそ、おためごかしの「グローバリズム」と――特に右翼やネトウヨは――相性が良いのです。

 どうしてか? それしか「現実から目を背け続ける、大義名分がないから」でしょう。

おまけ ヤンこと高橋聡の大阪人的思想源泉

 大阪弁で失礼しましょ。私は零細自営業です。もう15年以上やってます。自営業は、市場競争の最前線ですわ。
 そやから市場競争とか、市場原理主義とかが「どんだけ厳しいか」は知ってます。
 首くくったろと思ったことも、幾度かあります。

 行き過ぎた資本主義と、平和主義が「結びついてる」いう話は、上述しました。
 首くくらなあかん社会が、ホンマに平和なん? まだなんとか、くくってないけど(笑) そういう人、いっぱい居るんちゃう?

 自営業してる人ならわかると思うけど、自分とこの存亡かけて、喧嘩せなあかんときもある。15年もやってたら、数回くらいあった。
 もちろん暴力で解決やないけど、駆け引きも交渉も全部「暴力的に見えるほどのもの」やったで。
 うん、私は小心者やから超怖かった(笑) 心に仮面つけて、頑張りました(笑)

 零細自営業ですらこうやねん。国家となったら、もっと怖い駆け引きも交渉もあるはずや。
 私は「自分の事業、絶対守るねん!」という気概やったけど、国家にも「自分とこの国民は、絶対守るねん!」ちゅう気概が必要なんちゃうかな。

 私からしたら、平和”主義”なんてちゃんちゃらおかしい。
 今は忙しいけど貧乏暇なし、他から喧嘩も売られんようになった。生き残って、なんとかかんとかやったからでしょ。

 概念は所詮、形而上。知りつつも「実践」が大事なんちゃうかな。

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阿吽

>概念は所詮、形而上。知りつつも「実践」が大事なんちゃうかな。

まあ、今までアメリカ様に守られながら・・、そのぬくぬくした環境で平和遊びゴッコに興じてたのが戦後日本人の姿ですかね。

軍事力をアメリカに依存してるイコールほぼ外交権がないに等しい、ですからね。

そういう意味では、国際政治の荒波からアメリカの軍事力のおかげで隔絶された土地になったのが・・、戦後日本人が達成したと思っていたユートピア・・、平和主義の理想郷、平和主義国家ニッポンだったのかもしれませんね。

保守は、アメリカに守られたい、守られなきゃ生きていけない、という現実論に逃避し現実(国際政治)に向き合うのをやめ・・、左派は、ラブアンドピースに逃避したわけです。

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私なんかは、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も・・、アメリカが日本の肩代わりをした戦争だと思ってますし・・、アメリカに戦後占領されて現代まで続く保護国化されなければ・・、本来は、日本国が戦うはずだった戦争だとさえ思います。(反共のために)

日本は戦後70年、自分達が戦うはずだった戦争(朝鮮戦争・べトアム戦争)を、アメリカのおかげでしなくてすんだだけなんですよ。(まあ、アメリカが日本の肩代わりをわざわざすするはめになったのは、大日本帝国(反共の要)を自分でぶっ壊しちゃったからっていう自業自得的な部分も、あるっちゃあありますが)

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