表現者クライテリオン 令和の建白書-日本文化論 施光恒-レビュー

この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク
スポンサーリンク

 表現者クライテリオン5月号を現在、興味深く読んでいます。とはいっても、すべてを読むのは大変時間がかかるので、時間のあるときに興味のある稿を読むといういい加減な読み方です。

 5月号はサブタイトルが「令和の建白書」となっており、各寄稿者にそれぞれテーマが与えられ、そのテーマに沿った稿になっております。
 施光恒さんの記事はp188から、日本文化論についてになります。

 さっと用語解説と施光恒さんの稿の書評を書きつつ、後半では私も日本文化論について、少々言及してみたいと思います。

スポンサーリンク

建白書とはなにか?

 建白書とは明治政府において、かなりメジャーな存在だったようです。自由民権運動や憲法制定など、様々な制度が決まっておらず、当時の有識者などは政府の政策を上申する書物を、建白書といいました。

 現在のように政治に無関心ではなく、明治は熱い時代でもあったようです。

表現者クライテリオン5月号「日本文化の発展のために『クールジャパン』政策の批判的検討を通じて」著:施光恒さん

 施光恒さんの稿を読んだのは、私も好きな日本文化論だったからです。また、施光恒さんの著作も好きで、何冊か持っております。

 記事の内容は非常に常識的なものです。箇条書きでまとめてみます。

  1. 日本の大衆文化は海外受けする
  2. しかし「クールジャパン」という政府の政策は、中身が伴わない
  3. 江戸時代には園芸文化が花開いたが、それも分厚い中流層があったから
  4. 実際に士農工商は表面的建前で、実質的にはかなり異なっていた(中尾佐助氏)
  5. 文化とは経済的余裕があり、初めて成熟し、継承していく
  6. しかし失われた20年で、日本人の趣味離れが進んでいる
  7. 地域社会、地方社会も衰退の一途であり、晩婚化なども進んでいる
  8. 国民生活を豊かにすることこそが、日本文化を成熟させる道だ

 最後の締めは、以下のような文章になっています。

 このように基本に立ち返り、国民生活の充実を政治の第一目標とすることという当たり前の意識を取り戻すことが、文化の振興の基本だと言えるだろう。クールジャパン政策のように、海外ばかりを見て国民生活をないがしろにすれば、肝心の日本の文化が廃れていくことは間違いない。

表現者クライテリオン 2019年5月号 p193

 非常に常識的な結論でして、じつは表現者クライテリオン5月号の「建白書」の内容は、ほとんどすべて常識的なものばかりです。
 では常識的なことをなぜ上申、建白せねばならないのか?

 今の政治が非常識だから、と解釈可能です。

 施光恒さんは江戸時代の園芸文化に視点を置きましたが、江戸時代といえば様々な日本料理の文化が花開いた時代でもあります。
 茶懐石、寿司、天ぷら。また白米が主食として定着したのも、じつはこの頃です。江戸は「米食い都市」なんて呼ばれました。

 施光恒さんの記事にも出てきますが、識字率も高く、中流層が多かったのは間違いないようです。
 園芸文化でいえば金沢の兼六園などはあまりに有名です。このことからも「園芸文化は江戸だけではなかった」こともうかがい知れます。

施光恒さんの記事のいいたかったこと

 施光恒さんの記事の主張は、端的にいえば文化とは豊かでないと生まれない、ということだろうと思います。
 大衆文化はまさに、国民が豊かでないとやせ細っていくだけなのです。

 私なりの理解で申し上げると、文化とは一種の無駄です。というより……無駄こそが文化として花開くのだと思います。
 例えば現在の日本の大衆文化といわれるアニメ、漫画なども嗜好品であり、なくても生活には困らないでしょう。
 合理的に考えれば――生活必需品でないことは明白ですし、娯楽産業ですから、生活に行き詰まれば最初に切り詰められる部類のものです。

 しかし文化とは”無駄”を楽しめる、という心の余裕から生まれるのです。経済的に困窮していて、心の余裕や平穏が保てるわけがありません。

 ところが失われた20年といわれる現在、政府は国民貧困化政策を狂ったように行いながら、「クールジャパンで海外に日本文化!」などといっています。
 施光恒さんも暗に書いているのですが、「片方で文化に必要な土壌をぶち壊しながら、一方で海外にその文化を広める!」とは、控えめにいって矛盾です。

 じつはクールジャパンとはこの矛盾を、言い表した言葉なのかも知れません。寒い日本です(笑)

文化論と保守とエセ保守

 保守思想とは共同体を大事にします。共同体内の伝統や文化も大事にします。ゆえに、保守をいやしくも名乗るなら、文化論の記事の1つくらいかけねばおかしいのでは? と私は考えます。

 現在はネット上でそれこそウジャウジャと、保守を名乗る手合がいます。有識者でも自身を保守と名乗る人は多いでしょう。

 そこで私、保守とエセ保守の見分け方を経験則から考えてみると、文化論が書けるかかけないか? が有効なのではないか? と思います。

 余談ですが、私は保守思想は好きですが、保守ではありません。自分のセクシャリティがゲイということを考えると、保守とはいえないと考えています。
※ちなみに、私は自分で保守だとか左派だとかいったことはありません。

 明日は、セクシャリティがゲイということと、ナショナリズムを大切にするということが、矛盾しないというお話でもしたいと思います。

非常に内容が多く、濃い雑誌です。

英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)(施光恒)
本当に日本人は流されやすいのか (角川新書)(施光恒)

あわせて読みたい書評やレビュー

コメントを残す

  Subscribe  
更新通知を受け取る »
タイトルとURLをコピーしました