ネット議論で陥りがちな自身の正当性の証明は、不完全性定理により不可能


 本日はネットの議論における、主観と客観、不完全性定理を解説したいと思います。

 私は基本的に、ほかの記事やブログにコメントで議論を仕掛けません。私の記事にコメントいただいたときか、もしくは八つ当たりの場合がたまにありますがm(__)m
※ほかの記事にコメントする場合の9.8割くらいは、議論ではなく「記事に感心した」とかの場合です。0.2割は……八つ当たりだったりします。たまにあります(汗)

客観的?自己言及のパラドックスと不完全性定理

 客観的であろうとすることは、大変すばらしいことだと思います。

 しかし、自身の主張の正当性は自身では証明できません。
 数学で有名なゲーデルの不完全性定理は、一般的には自己言及のパラドックスといわれます。
参照:
ゲーデルの不完全性定理 – Wikipedia
不完全性定理 – 哲学的な何か、あと科学とか

 詳しいことは参照元で読んでいただきたいのですが、数学であれ何であれ、理論は理論そのものの正当性を証明できない、というパラドックスです。

 つまり「私がいったこと」は「私が、正しいか、間違っているか証明ができない」のです。これは誰にでも当てはまります。
 客体がいないと、本当かどうか? 証明が不可能なのです。

 自然科学の実験も「実験という客体」がいるから、それが事実であると証明されるわけです。

 議論でいうのならば、「その議論を多くの人が、正しいと認識するか、しないか。もしくは歴史的にどうなのか?」しかなく、自身の論考を、自身で正しいと証明するすべは「ない」のです。
 「俺は客観的だ!」という主張もまた、自分自身では証明できません。

 ゆえに「自身は客観的だから、それと異なる意見は妄想」という式は「自身の主観」でしか成り立たないのです。
※主観が悪い、とはいってません。むしろ、自身の言動のすべては「主観から発生している」とすらいえます=自身は客観ではない。

経済や政治における証明のための客体は歴史

 経済や政治、社会科学は「証明ができない」と思われがちですが、本当にそうでしょうか?

 歴史において、じつは経済や政治は、証明が可能です。
 簡単な例を取り上げましょう。

 失われた20年という言葉があります。なるほど、日本は20年間デフレです。なぜデフレだったのか? 緊縮財政を続けたからでしょう。
 20年という短い歴史ですが、明らかに「デフレの原因は緊縮財政」と証明がかないます。

 保守思想が理性より、歴史や伝統を重んじるのはこのためです。
 例えば私自身の理性は、私自身が正当かどうか? 証明不可能です。主体は主体の正当性の証明をできません。

 ですから歴史(人の積み重ねてきた事実)という「大きな客体」に証明を求めるのが、保守思想ともいえます。

常識や慣習とはなにか?とネット議論

 普段、私たちは常識や慣習で判断しています。均衡財政主義が常識になっているのは、やや苦笑いが出ますが(笑)

 常識や慣習は、歴史の積み重ねの上にできた”判断基準”や”行動基準”です。

 議論でいうのならば「ある人が主張していることが、常識的に判断して正当であろう」とか「間違っているだろう」という話です。

 ネットの議論は得てして、非常識に走ります。リアルではいわない物言いを、してしまいがちです。
 これは当然でして、リアルでの常識は、ネットという空間に適用されない場合が、多々あるからです。ネットができて日が浅い、というのも関係しているでしょう。

 私も含めて、「リアルでその物言い、する?」と戒めねばなりません。

不完全性定理とネット。だから議論するのは嫌い

 端的にまとめますとこうなります。

  1. 不完全性定理により、自身(主体)の主張の正当性を、自身(主体)で証明するのは不可能
  2. ネットはリアルと異なる空間であり、リアルの常識が通じにくい

 ネット上での議論は無意味とはいいませんが、私がネット上で議論するのが嫌いな理由は上記の2つに集約されます。
 私自身は、記事を書いているときにも、私自身の正当性を証明しようとはしておりません。ほとんど明白であろうと過去に証明されたことを、解説差し上げるだけです。

 もしくは、過去にほとんど明白だと証明されたことを、つなぎ合わせて、現在のことを解釈するだけです。
 ゆえに、私からは新しい経済理論ですとか、そういったものは生まれません。
※私が、新しく過去に証明されたものをつなぎ合わせて、現在を解釈したとしても、それはすでに誰かがやっている解釈になるでしょうし。

 何度かお話ししていますが、自営業をするときに「このアイディアはいける! オリジナリティがある!」とか考える人は、たいてい失敗します。
 中二病的にいえば「僕の考えた最強の理論」だからです。

 オリジナリティを重要視しすぎて、正当性や客体を無視するということは、ネット上でよくおきます。陰謀論者とか、自分の最強の理論論者はたいていその類です。
 しかし彼ら自身は、自分自身がなぜそうなったのか? を記憶してませんし、認識もしてないでしょう。
 なぜなら……認識していたら、そもそも恥ずかしくてそんなことはできないからです。普通なら。

 ゆえに、ネットで私は議論するのが嫌いなのです。
 自分が正しいと思うのであれば、記事でPVを上げて、それを広めたらいいだけじゃないですか。ネット上とはいえ、世間という客体に評価してもらえばいいのです。

 たいてい、誰かの記事にコメントで議論を仕掛けるのは、「その議論が評価されていないから」でしょう。
 議論で相手を言い負かすことによって、自身の正当性(と思わしきもの)を確認したいだけ、と解釈可能です。

 政治・経済議論がネットで嫌いになった理由 ブロガーの正しい時間の使い方では、ブロガーの正しい時間の使い方を、解説差し上げてます。

オリジナリティは何から生まれるか?

 最後に、独自性、オリジナリティの解説を差し上げたいと思います。

 私はオリジナリティなんぞは必要ない、と思います。生まれつき私はゲイで、人とは違うことがいやでした。生き方にも「結婚して家庭を持って」というテンプレート(常識)が当てはまりませんでした。
 多分私がノンケ(ストレート)なら、結婚願望がすごく強かったと思います(笑)

 閑話休題。
 オリジナリティとは「作るもの」ではありません。たまーに作れる天才がいますが、99.9999%の凡人には不可能です。私も含めて。
 独自理論や独自の価値観も、オリジナリティとして考えてください。それらは「作ることはほとんど不可能(天才以外)」です。

 私はゲイならではの、ちょっと異なる価値観も持っていますが、これは作ったものではありません。世間と自身の妥協から、勝手に生まれた産物です。作ろうと思ったこともありません。

 私の書いている理論や解釈のほとんどは、すでに誰かが書いていることを、やさしく解説するというだけです。独自性はみじんもありません(笑) 独自性を出そうとも思いません。

 しかしもし、私の文章にオリジナリティがある、と感じてもらえるとするのなら、それは「自然にそうなっただけ」であり、「私が意図して作ったものではない」という事実です。

 オリジナリティが何から生まれるか? 果てない積み重ねと研鑽から「自然に生まれる」のだと思います。

最後に 果てない研鑽と積み重ねの意味

 ネット上での政治経済論者の大半は、あまり本を読んでないように見受けられます。政治経済を語るうえで、有用な著作は大変に役に立ちます。
 読んだからすぐに、何か効果があるわけではありませんが。

 また、同じテーマを”記事にせずに”、うんうんと考え続けることも有効です。
※記事やコメントにすると、引っ込みがつかなくなるので、思考の方向性が定まってしまう。
※定かでないことは、「こうなのでは?」程度にとどめておくべきです。

 政治経済議論には上記のようなことも役に立ちますが、一番大切なのは「日々をまじめに生きること」かもしれません。
 「なぜ? どうして?」と考え、試行錯誤することが大事なのだと思います。
※試行錯誤とは”試し行う”ことが肝要です。チャレンジですね。

 例えば、みぬささんは私を勉強会にお誘い(というチャレンジ)くださり、私もチャレンジしてみました。ポルシェ万次郎さんは、マンガというチャレンジを今でも続けておられます。
 影法師さんは、進撃の庶民という壮大なチャレンジをされました。

 試行錯誤ってしんどいです。しかし、上記の方々の中には、確かなものが積み重なったのだと思います。
 私は現在、当ブログと進撃の庶民のアクセスアップというチャレンジをしております。
 多分、数か月、数年単位で「これがこうで……」と継続して、試行錯誤し続けることになります。

 日々をまじめに、真剣に生きることは、試行錯誤なんだと思います。
※私、不真面目な場合も多々ありますので、あまり人のことはいえませんが(笑)

アクセスアップには、以下の記事を参照してください。

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阿吽

>私も含めて、「リアルでその物言い、する?」と戒めねばなりません。

こういうことを言うのはなんですけど・・、ネットというのは、気楽に書き込める分、本音が出やすい所だと思っています。

その人間の本性が出やすい所だと思っていますね・・。

(だから、私と言う人間の本性も、ご覧のとおりです・・)

,
>ほとんど明白であろうと過去に証明されたことを、解説差し上げるだけです。

上記も・・、ある意味では・・、

『ほとんど明白であろうと過去に証明された(と、ヤンさんが、ヤンさんなりの解釈で、ヤンさんなりに判断した内容の)ことを、解説差し上げるだけです。』

・・となりますね。

つまりはこういうことが、不完全性定理ということになるのでしょうかね。

かなり、自分自身に厳しい理論です。

,
>独自理論や独自の価値観も、オリジナリティとして考えてください。それらは「作ることはほとんど不可能(天才以外)」です。

葛飾北斎や、ダヴィンチや、ジョブズだとか・・、そういった天才を見て、個性だと言うから・・、日本の個性尊重主義的な教育? もしくは方針が、おかしくなるのでしょうね・・・。

なぜなら本当の天才は、ヤンさんが言われるように、本当にごくごく一部だからです。

,
しかして、人は誰しもが本来生まれた瞬間からオリジナリティを持っているのです。

なぜなら、人は全て違うからです。

一卵性双生児でも違います。

人は皆、それぞれ特別でそれぞれオリジナルだということを、忘れてはいけないでしょうね・・・。

だから、本来、1人1人の人間は尊いのです。

,
>※記事やコメントにすると、引っ込みがつかなくなるので、思考の方向性が定まってしまう。
>※定かでないことは、「こうなのでは?」程度にとどめておくべきです。

これは本当にそう思いますね。

,
>日々をまじめに、真剣に生きることは、試行錯誤なんだと思います。

良いことを言うなあと思います。

わりとこれは真理だと思います。

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結局、陰謀論に走る人とは、不真面目な人なんですかねえ・・・。

私も、この世のミステリーとか、大好きですけど・・。

オーパーツとか、宇宙人の謎とか、暗殺や戦争の真実とか、幽霊だとか・・・。

ただまあ、あくまで娯楽であって・・・・。

,
妄想を真実と思いこむさまは、やっぱり、ネット右翼の亜種なんですかね・・・・・?

ネット右翼もそうですし・・、陰謀論者もそうですし・・・、やっぱりそこは、心の弱さが起因してるんですかね・・・・?

まあ、私は、あれに関わるのも、心の弱さだと思ってますが。(うずらさんなんかは、心の弱さからではなく、義憤からなんだろうとは思いますが・・、本来的には、あんまりからむべきではないでしょう、ね・・)

だから、ヤンさんのした八つ当たりのコメントという表現も・・、上記のように考えれば、心配でもあり・・、そして、これは、私自身の申し訳なさも・・あります・・・。


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