改革より維持に活力が必要なわけ-活力のほんとうの意味と正体

改革は活力不足だから起こる?

 活力とは何でしょう? 活力の活とは以下のような意味です。

  1. 《名・造》水が勢いよく流れるように動く。働く。生きる。生かす。 「死中に活を求める」
  2. 《名》気絶した人の急所をついたりもんだりして生きかえらせること。転じて、元気を失った人に元気をつけること。 「活を入れる」

 活力とは生命力と言い換えてもいいかも知れません。
 昨今の風潮では「社会に閉塞感」「社会から活力が失われている」などと表現されることがあります。これは日本社会の生命力が低下している、という比喩なのでしょう。

 日本で20年以上に渡って続けられた改革は、主に規制緩和や構造改革、そしてセットとして緊縮財政でした。今や選挙になれば、政治家たちは声高に改革を叫びます。

 日本社会の活力が失われる中で、それではいけない! と改革をしているようにも見えます。本当に?
 視野を変えてみると本当は、改革こそが日本社会の活力を奪ってきた、と解釈できるのではないでしょうか?

改革とはなんだろうか?

 改革とは物事をガラリと変えること、と解釈できます。なぜガラリと変えるのか? あっちに行ってみたり、こっちに行ってみたり。「何かもっと、いい方法があるはずだ」と、日本は改革を20年以上に渡り試してきましたが、その結果は凋落と国民の苦境です。

 若者が料理修行をしているとします。この若者は改革思考です。和食を3ヶ月やってみては「包丁にも触らせてもらえない! やっぱり洋食だ!」と洋食に行き、洋食でも直ぐに結果が出なければ「やっぱり僕には中華があってるはずだ!」と中華料理にフラフラ。
 3年以内に会社をやめてしまうことにも似ています。あっちへフラフラ、こっちへフラフラと「自分探し」をしているようでもあります。
 自分は”そこ”にいるのに、気がついてないんですね。自分探しって。

 一般的に上記のような若者は、辛抱が足りないと表現されます。活力が足りない、とも共通するではありませんか。
 改革とはまさに、活力が足りないから「改革に逃げる」ことなのです。

真に日本の活力を奪ったのは緊縮財政

 論をまたないのですが、改革と緊縮財政は壮大なマッチポンプであると言えます。
 緊縮財政は国家の経済を凋落させます。国家の経済が凋落し始めたら「このままでは凋落するばかりだ! 改革しなきゃ!」という言説が広まり、受け入れられ、さらに緊縮財政と改革がセットで行われるのです。
 本当に緊縮財政が必要だったのか? という辛抱と活力の必要な検証は行われません。

 現在、日本社会に活力を取り戻そうとするのなら、真に必要なのは財政出動、積極財政なのです。

主婦は活力が足りない存在ではない

 現在の日本では一般的に、主婦というと「贅沢、羨ましい」と思われる風潮があるように思えます。いわゆる主婦とは、怠け者と言われているような風潮です。
 私は、主婦や母親こそがもっとも活力あふれる存在だと思います。
 毎日毎日ご飯を作り、掃除をして、子育てし、10年も20年も同じに見えて異なる作業をずーっと繰り返す。
 主婦や母親のしていることはまさに「生活」であり「活力そのもの」じゃありませんか。

 もっとも主婦だけでなく、辛抱強く仕事をするサラリーマンや社会人全般にも言えます。しかし「活」という字が「生きる」であれば、自身の生活を豊かにし、維持する作業をするというのは、一番活力のある行為に思えます。

辛抱の足りない改革より、維持や改善のほうが大変

 改革というととかく、人は「新しいもの!」というイメージで捉えますし、間違いではありません。
 しかし新しいものだから良いもので、古くて10年以上もしていることだから悪いもの、なんてことはありません。和食、伝統産業、お寺や神社等々。古くて良いものはいくらでもあります。

 「改革!」だとか言って、神社が最新建築物になったら誰もお参りに行かないでしょ? とにかく新しいものが善という考え方は、一旦捨てたほうが良いのではないでしょうか?
 神社やお寺、歴史ある建築物が残っているのはまさに、「改革病に侵されずに、維持してきたから」にほかなりません。これがどれほど大変で、どれほど活力の必要なことかは想像可能かと思います。

 私事ですが、ブログを毎日毎日欠かさずに更新するのも、相当に活力が必要です(汗)どこかの誰かさんは私が、毎日ブログを更新することも含めて、承認欲求が強いからと解釈しているようですが、それでできたらなんと楽なことでしょう!?
 多少、文章が書けて知識も持っているので、手を変え品を変え微力ながら発信している、というのが実態です。

 私は当ブログを「言論活動」と捉えていますが、「活動」もまた活力が必要な作業です。逆にちょっと何かがあればすぐ「もう政経論やーめた!」なんてのは、活力の足りない証左でしょう。
※もちろん、日々の仕事などもあるので無理強いは出来ないわけですが。

 活力とは生命力そのものであり、生命とは基本的に維持と存続です。あとは子孫を残すとか……。うん、私はゲイなので、その意味では活力がもともと少ないのかも知れません(笑)
 皆様もぜひとも、少しずつでよいので活力を維持し、政治に対しても様々に、発言していただきたく存じます。

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阿吽

>自分は”そこ”にいるのに、気がついてないんですね。自分探しって。

なかなか、含蓄のある言葉ですね・・。

まあ、解釈次第では・・、逆説的なことかもしれませんが・・、それに気づくための、自分探し、とも言えるのかも・・、しれませんね・・・。

自分の心の中にある、自分自身に気づくことができるかどうか・・、と、言いますか・・・。(仏教的に言えば、『衆生本来仏なり』ですかね・・)

若い内は、悩むものなのかしれませんし・・、(若くなくても人ならいつでも悩むかもしれませんけどね・・・)、もし、〝そこにいる〟のに気づくことができれば・・、人は、もっと前を見れるのかもしれません・・。

どうですかね・・・(^^;)