ポスト・トゥルースの時代の作法・無作法-地方から安倍政権へ不信の声?

地方では安倍政権に不信の声があがっている

 私、相変わらずドタバタしております。今日は短めに「地方では安倍政権に不信の声が上がっている」というニュースを集めてみました。

 どうも安倍政権のニュースを見ておりますと、先日の施政方針演説はあまり好評ではないようです。施政方針演説で個人的に「なにがやねん!」と思った部分を抜き出します。

 強い日本。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。

 激動する世界を、そのど真ん中でリードする日本を創り上げる。次の3年間、私はその先頭に立つ決意です。私たちの子や孫の世代のために、希望にあふれ、誇りある日本を、皆さん、共に、切り拓(ひら)いていこうではありませんか。

 どうも……なんと言いますか、日本弱体化政策――入管法規制緩和2度で移民拡大、漁業法改正、農協改革、水道事業民営化、緊縮財政、消費増税等々――を進めておいて、よくもまぁこんな妄言を吐けるものだと感心する次第です。

 この安倍政権によるダメージが一番顕著なのは、もちろんながら地方でしょう。地方自民党が安倍政権に対して、不信を持っているのもうなずける話です。

ポスト・トゥルースの時代の作法

 日本におけるポスト・トゥルースはいつから始まったのか? という話の前に、ポスト・トゥルースとはなにか? を書いておこうと思います。

 ポスト・トゥルースとはトゥルース(真実)の次のもの、という意味です。端的にいえば嘘がはびこり、それを許容する空気が形成された時代というふうに表現可能でしょう。

 私はこのポスト・トゥルースは、小泉政権から始まっていたと診断しております。「米俵百票の精神で」「国民は痛みに耐えて」などと嘯いておりましたけども、痛みを堪えた先には何もなかったのです。

 それでも今ほど嘘が多くはなく、嘘が表に出れば批判されておりました。その証左に小泉政権後の安倍政権、福田政権などはすぐに倒れ、その流れで麻生政権になり民主党政権の樹立にまで発展しました。

 これらは自民党政権の嘘に対する拒絶反応と、解釈してもよいのではないでしょうか? 民主党政権が良かったとは申しませんが、現在の安倍政権よりマシだったかも知れないとは思います。しかし、民主党政権への拒絶から、現在の安倍政権の嘘を許容する空気が形成されたというのは、皮肉以外の何物でもありません。

 現在でも右だ! 左だ! と騒ぎ立てる人たちがいますが、左右対立の前提条件は「嘘がないこと、少ないこと」です。嘘が許容される現代において、左右対立などは虚しいだけなのです。

 ポスト・トゥルースの時代の作法とは、左右対立にこだわるのではなく、まず嘘をこそ批判せねばなりません。

進撃の庶民に差し上げた寄稿

 本日11時55分に発表される進撃の庶民への寄稿、藤井聡陰謀論者に捧ぐ-論理は陰謀論を相手にしない【ヤンの字雷】ですが、これもまた嘘つきへの批判という性質を含んでおります。

 端的に申し上げれば、昨年から政経論界隈では「藤井聡は政府のガス抜き要員! 本当は安倍政権の手先!」なる批判が巻き起こっておりました。大した論拠、証拠もなしに、です。ある主張をするのであれば、その主張に対して深い造詣と、論理が求められるのは言うまでもありません。

 再エネはガス火力を増大させる事実および、再エネや原発、蓄電池の検討【再掲】では、最エネが増加すると、ガス火力がたくさん必要になるという”事実”を、様々な論拠に基づいて論じております。この稿を書いた後日に、ドイツでもグリーン電力の夢は頓挫していた 送電網の整備が遅れロシアの天然ガス頼みに(東洋経済オンライン)という記事が出まして、「やっぱりなぁ……そうなるよね?」と思ったものです。

 詳しくは再エネの夢が潰えるドイツの現状から、国家の安全保障と国際情勢を考えるよりご覧ください。

 しかし陰謀論者たちは、自身が論じていることについてすら責任を持とうとせず、しかし他人には責任を求め、的外れな批判を展開するということが往々にして起こります。

 これを”ポスト・トゥルース”と言わずして、なんというのか? を私は知りません。嘘に対して我々庶民が持つ武器は、ネットと口コミのみです。その武器をポスト・トゥルース的にして捨て去ることこそ、ポスト・トゥルース時代における”無作法”と言えるのではないでしょうか?

三橋TVで藤井聡さんと三橋貴明さんの対談を見た感想

三橋TV第43回【元内閣官房参与から見た財務省の闇】

 昨日はこれを見ておりました。なかなか面白い内容でした。なかでも藤井聡さんのご発言で以下のような趣旨のことを言っておられたのが、大変興味深いと感じました。――この動画ではなく、関連動画の中のどれか? だったように思いますが……うろ覚えです(笑)

 内閣官房参与をやめたのだから、安倍政権批判をしろ! という人がいますが、嘘をこそ批判しなければならないのであって、特定の誰々を批判するというのは違います。

 確かこのような趣旨だったかと思いますが、安倍政権云々は置いても理解できる発言だと思います。例えば、私はこの数年は選挙のたびに共産党に票を投じておりますけど、それは経済政策では共産党が”一番マトモ”だからです。

 しかし右派からすれば「きょ、共産党?」と顔をしかめることでしょう。これは右派は、左派と対立するものだ! だから左派が何を言っても対立する! という姿勢からそのような拒絶を示すのだと思います。

 これは藤井聡陰謀論者にも当てはまります。彼らは「何を言っているのか?」ではなく「誰が言っているのか?」で判断しようとしているわけです。これは端的にいえば、自身の知性がその程度ということを、自分自身で示していると言えましょう。

 そして知性を磨こうともせず、楽な方向にかじを切るのでさらにポスト・トゥルースに加担していくことになるわけです。ポスト・トゥルース時代に、断固としてポスト・トゥルースを拒否する姿勢こそが、ポスト・トゥルース時代における庶民の作法なのではないか? と私は思います。

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阿吽

>ポスト・トゥルース時代に、断固としてポスト・トゥルースを拒否する姿勢こそが、ポスト・トゥルース時代における庶民の作法なのではないか? と私は思います。

至言だと思います。