公文書が消える日本-1984年、ジョージ・オーウェルの世界へ【再掲】

公文書が消える日本の不思議な改革

対策のたび公文書が消えていく きわどい案件は私文書に(朝日 2018.7.20)

 財務省の公文書改ざん問題などを受け、政府は近く罰則強化などの再発防止策をまとめる。だが、現場の職員からは「制度が厳しくなれば、ますます詳しい記録を残せなくなる」との本音も聞こえる。これまでも、対策を打つたびに各省庁が公文書の範囲を狭めてきた歴史があるだけに、中途半端な改革では逆効果になりかねない。(後略)

 この記事によりますと過去の日本は、議員案件であれ文書として残していたそうなので、白表紙と呼ばれるじつに生々しい記録も存在したようです。しかし2001年の情報公開法によって、それらは全て存在しなくなったのだそうです。

 2016年度の公文書は275万件あったのだそうですけれども、国立公文書館に保存されたのはわずかその0.4%なんて話も紹介されておりまして、どうやら「都合の悪いものは残さない」が2000年代からの日本政府の基本方針なのだそうです。

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 上記のカツトシさんの記事でも同じようなニュースが扱われているのですけれども、まさにジョージ・オーウェルの1984年を彷彿とさせる”現実”であり「都合の悪いものは、そもそも存在させない」という方向なのですね。はたしてこれを「改革」と称してよいのかどうか。

文章を残さないという、文明としての終焉

 いまやストレージ容量はほとんど制限知らずで、テキストや画像程度のものならば何百万点増えようがサーバーに残せる時代です。ちょっとした検索システムさえ構築すれば、瞬時にそれらを検索も可能でしょう。

 政府の省庁などがいかに膨大な仕事量を誇るといっても、それら全ての文書を残しておくことは技術的には全く可能な時代なのです。Googleなんぞは日々増え続けるブログ、サイト、Web情報をすべて記録し、分類し、表示するわけですからね。

 しかし日本の政治は「自分たちの行いを歴史に残す」ということに消極的どころか、むしろ現在と未来に日本政府の振る舞いが知られない方向にかじを切っておりまして、それが公文書をできる限り残さない、ちょっとした都合の悪くなるかもしれぬ文書は私文書として作成して、公開しないことを前提にするという方向性でありましょう。

 それどころか、メモすらとらせないという徹底ぶり。

 一次ソースが存在せぬところに、二次ソースが存在できぬように、もはや政府のこの態度は「一次ソースをどうやら、政府にとって都合の良いものばかりしか残さない」なんて可能性すら示唆するわけです。

 もはやそのように指向性を与えられた一次ソースは、はたして役に立つのか? という問題も存在しますし、歴史という観点から見ても責務の放棄以外の何物でもないと断じることになりそうです。

思考回路はショート寸前

 「思考回路はショート寸前」なんて歌詞が昔あった気がしますけれども、いまや日本の国家としての思考回路はショート寸前といっても差し支えないでしょう。

 通常は「批判されるような実態」があるのならば、その実態を改善しようとするはずなのですけれども、公文書をできる限り残さないという方向性は「実態の改善」ではなく、「実態を表すものを消去してしまえ」という話です。

 これは「実態の解釈を難しくする、見え難くする」だけであり、実態は依然として存在し続けるわけですから、何らかの問題が解決されることはありえない。

 これが「日本政府の出した対処法」だとするのならば、問題解決にならなどころか、むしろ悪化させているのではないか?としか思えません。

 「問題が外にもれなければ、何をしても良い。バレなければよいのだ」と考えていないと、このような対処法は通常は考えつかないことでしょう。

 国際情勢は混迷に向かいその度合を強める中で、自ら混乱と混迷を招き入れ、すでに世界的に失敗とみなされている移民拡大、もしくは水道事業民営化などを進めようとし、もしくは日本にそぐわないカジノ建設を推進し、原理主義的に頑なに緊縮財政を守ろうとする日本の政治は一体全体、どのような「不都合な事実や実態」を隠しているのだろうか? と疑念を持たざるを得ないようなニュースでした。

追記

 上記の記事を2018年7月21日に書いたのですが、半年後に「基幹統計不正」が発覚しまして、なるほど、本当に思考回路がショートしていたのが確定したというわけで、今回の記事を再掲しました。

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