何がしたいの?ブロガー大全集-当てはまらない?政経ブロガーでサル山のボス

進撃の庶民山(?)に登った理由

 多少酒が入っております。そう、書きたくなって書くエントリーです。これは日記。最初にお断りしておきますが、私はこと政経論に置いては私心をできる限りですが……抑えてきました。できれば皆様と「財政出動!」と唱えていきたい。結合と団結こそがそれを可能にすると、理解しております。

 進撃の庶民メンバーの方であればご記憶の方もいらっしゃるでしょう。影法師さん(進撃創業者)が先代の管理人(SOJさん)が引退なさった際に募りました。誰も手を挙げなかったのでしょうがなく、「他にやりたい人がいるのならば、そちらを優先してください。でも、いないのならやります」がきっかけでございました。私は影法師さんの記事が大好きですし、あの絶妙なエッジはなかなか真似できないと思います。だから、最低限の保証になりたかった、というのが消極的立候補の目的でした。後悔はしておりません。ええ、後悔はしておりません。一所懸命、務めるだけです。

 寄稿いただくブロガーさんたちも大変特色豊かで、寄せられる寄稿に感心しきりです。

 はっちゃけて言いますと、トップ(管理人)とか興味が無いのです。しんどいだけやし。いや、普段それをしてない方はご存じないのでしょうが……普段からトップですので、ぶっちゃけトップは嫌なんです。自分に関係のない出来事でも、自分が関係して謝罪せなあかんという立場、ですよ? 嫌にきまってますやん(笑)しかも勝手にFとかいうアホが暴れて、本人に僕が謝罪して丸く収めようと思ったら、さらに暴れたとかね(笑)アホかと(笑)どついたろか、と。

 あ、Jも嫌いですけどね。嫌いやから、声かけるんですよ? 「いついつ、シンポジウムやからこーへん?」って(笑)ネット上と、リアルでの態度が違うから、応えられへんのでしょうね。だって「その日は休日」とは仰ってましたからね。

議論サル山のボス

 議論でもよくいてはります。サル山のボス。私が言いたいのは「歴史上のサル山のボス」なんですね。和食の歴史は長いです。はっきり言いまして、和食の伝統を打ち破る料理というのは、非常に難しいです。それをできたら偉人ですよ。

 ところが政経論では、先人たちの議論をないがしろにして、”革新”とやらを掲げる勢力もいますが、先人たちの議論を無視して貨幣論を語るのも”一緒”やないですか? せめて、議論の参照くらいはされたらいかがでしょう?

 最もはっきり申し上げますが、近代が始まっての議論で、特に貨幣論はすべて先人が論じております(地金論争と何度も言うてます。だーれも参照せーへんけど(笑))。現代貨幣論すらコールリッジの貨幣論の「焼き直し、論理付け」以外の作業ではないのですよ。そのことすら、意識していないのはいかがなものか? と思います。反現代貨幣論者でも。勉強しましょうよ。それとも、自身独自の貨幣論でも生み出せると思っとるんですか? お前はケインズかっ! ですよ。無理ですからね? やれるのなら、さっさと論文書いたら良いのですよ。私は無理ですから、小説書いてます(笑)

 ま、ここから一文は愚痴です。アホみたいな「理論派」Jが来て、ブログランキング30位台に上がった進撃の庶民にまた媚びてはりますな。「俺は、脳みそがいいんだー!」と(笑)今更相手にしてどうなるねん。あんなん、ほおっとき、が本心です。

 どうせ「進撃の山」に集るお猿さんですからね(笑)うっきー!!!!

集客のために思想を捨てたバカども

 とりあえず「なにか集中するところ」に寄ってくる、特にコメント欄で相手をアホ呼ばわりするアホは「山に惹かれるサル」です。間違いない(笑)腰でも振ってろ! ファッキンベイベー!

 こいつらも結構最低なんですが、もう1つ最低なのは自身の経世済民を忘れたブロガーです。名指しはしませんけれども、こいつらも結局「ブログランキングで上位に行きたい! だから読者の気に入る記事を!」と考えて、現在の安倍政権万歳スタイルになったわけです。だって2012年あたりの記事と、矛盾がだいたいは生じておりますから。

 要するに「こいつら」と上述した人たちを呼ばせていただきますが、こいつらは「自分のブログとか発言力が、権力闘争によって増す」と考えてるんですよ!! あほちゃうけ? 中身がなけりゃ無理でしょ。つまり彼らは非常に新自由主義的人間と言えます。相手にする必要が全く思い浮かびません。いえ、あえて言いましょう。アホは黙っとけ。邪魔じゃ!! と。せいぜい、こずるく立ち回ったらええですよ。己の価値観で。

 中身が無いのは「当たり前」です。興味が無いんですから。

 はい! そこの「違う!」と反論されたJさん、Fさん、じゃあ論を書いてくださいな。

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阿吽

まあ、私のような人間が言うのもなんですが・・、友達は選んだ方が良いんでしょうね・・。

まあ、もう・・、今さらですが・・・。

三顧の礼を持って迎え入れているんですから・・。

目的のために、手段を選ばないとなれば・・、これは、大衆への変化への第一歩、ですかね。

まあ、世間に強く訴えるのなら、まず、自身が大衆にならなければ・・というのはあるのかとは思いますが・・(大衆に訴えるのなら、自身が大衆になることだ、みたいな?)・・、しかし、それだと世間への発信力を得る代わりに・・、言論人としての質は、これは落ちるでしょうね・・。(これは、悩ましいジレンマかとは思いますが・・)

しかし、自身の言論の正統性を自身が裏切りたくなければ・・、やはり、愚かしくとも愚直に、正論で、王道で、訴えるべきかとは思います。

自分の言論を自身で裏切るようになって初めて・・、その人物は、大衆となりはじめるのかしれません・・。

しかし、その方が確実に世間への影響力が強くなる・・。

なぜなら、世間が大衆だから・・。大衆に強く訴えるには・・、自身も大衆になれば良い・・。

しかし、その方法を多用していけば多用するほど・・、自身の言論は大衆的なものに堕し、最後には、ほとんど価値のない言論とかしてしまうのでしょう。

しかして・・、言論人としてあろうとするのならば・・、自身の言論を自身で裏切ってはいけないんでしょうね・・。

上記のようなことをすれば、政治家にはなれるかもしれませんが・・、言論人としては、失格でしょうね・・。(まあ、世間では、左記のような人のほうが、はびこってるんでしょうけど・・)